問い

「感情」と「気分」を、それぞれ定義して、自身の状態を1-10のスケールで点数をつけられるだろうか?

「メンタル」と「セルフ・アウェアネス(自己認識)」を区分して、それぞれ点数をつけられるだろうか?

最近のパズル

最近の解きたいと思っているパズルに、「感情」周辺の概念の理解がある。

はじめて不思議に思ったのは、Dr. Evian GordonのBrain1-2-4だ。

これは、脳を理解するモデルの1つで、脳は4つの主要プロセスがあるとしている。
Emotion(エモーション・感情)、Feeling(フィーリング・気分)、Thinking(思考)、Self Regulation(自己制御)

その中で、Feeling(フィーリング・気分)とは、無意識のEmotion(感情)を意識下で経験したものとして定義している。つまり、このモデルでは、Emotion(感情)とFeeling(気分)を、無意識下と、意識下で、明確に分けているのだ。

『情動はこうしてつくられる』

さらにパズルが深まったのが、「感情」の画期的な理論提唱をしている、リサ・フェルドマン・バレット氏の書籍にでてくる、「情動」と、「アフェクト」。

特に好きなのが、訳者あとがきだ。
書籍の中にでてくる、少々ややこしい、言葉の日本語のニュアンスを著者とのやりとりを交えて丁寧に説明してくれている。

「情動」は、
  感情とは異なる
  身体と外界の相互作用で構築された知覚
  意識下のもの

「アフェクト」は、
  ほぼ、気分と同義語
  一般語でいえばフィーリング(Feeling)

なるほど。。。

「アフェクト」は、フィーリングに置き換えることで、実感として確認できるが、「情動」は、もう一度書籍を読まないと、「構築された知覚」が、バシッと入ってこないのが正直なところだ。

顕微鏡と望遠鏡

科学の進歩で、Feelingや感情の定義は理論ごとに異なるが、とにかく、内面を理解する単語が細かい粒度で定義されている。
そして、それぞれの単語は概念を背負っており、それぞれの概念は、区分と距離感が明確に設置されている。

それらが、実感として、もしくは、バシッと頭や身体や心に入ってくるかが、知性を一歩でも進めようとするには必要だ。

つまり、自身の意識の顕微鏡の倍率をあげ、粒度を細かくすること。

さらに、自身の望遠鏡の性能を上げ、粒と粒の間の距離を見分けられるくらいにしなければ、感情周辺の概念を理解したとはいえないだろう。

ざっくり & ぼんやり

例えば、「感情」ドメインでは、私は、この程度しか実感を持ち合わせていない。

ざっくりと、「内面」。

私が捉えている感情とか諸々は、ざっくりと「内面」

あえて意識を向けると各単語が近いっ距離にあり、遠くからはお団子状態

単語をあえて並べてみるが、望遠鏡でみると、お団子状態だ。

区分すれば計測できる

先日、欧米・アジア9カ国の仕事仲間と、チームビルディングのワークで、バランス・ウィール(Balance Wheel)というフレームワークに出会った。

Balance Wheel copyright thesofaproject

目に見えるPHYSICAL(物理的)と、ENVIRONMENT(環境)の以外に、メンタル、セルフ・アウェアネス、エモーショナル、スピリチャルがあった。

ワークは、それぞれの項目に1-10のスケールで点数を付けるというものだったが、「内面」しか概念を持たない私には、「内面」を4つにも分けて認識できることが衝撃だった。

概念があれば、意識を向けられるが、概念がなければ、そこを評価することもできない。

予感

4つの概念を理解することは、「感情」を捉える上でとても良いきっかけになりそうな予感がする。

特に、別の文化で暮らしている人達が、これらの概念をどう理解して、実感としてどう位置づけているのかとても知りたくなった。

概念を持つということは、区分できるということ

宗教的・文化的な違いがあったとしても、漠然と「内面」と付き合うより、それぞれがそもそもあるという事を実感をもって認識するのはいい一歩だと感じている。

参考文献
Dr. Evian Gordon “Brain 1-2-4” https://www.youtube.com/watch?v=XYU1WgteWKU
『情動はこうしてつくられる』2019 リサ・フェルドマン・バレット

Photo by Adam Winger on Unsplash